家具を作るということについて

家具を作るということについて

511

 

今日は、家具を作っている理由について少し書きたいと思います。

 

きっかけなどについてはまた別の機会に譲るとして、今回は作ることに対する大義名分のようなことです。

 

家具を作るようになってから徐々に『木材』という視点で世の中を観察するようになり、そして深く考えるようになりました。

まあ要するに大義名分は後付けということです。

しかし無理矢理掲げたものではなく、ごく自然にそこに至っていることも付け加えておきます。

 

自然が失われた都会にいると忘れてしまいがちなことだと思いますが、人間が生きてゆくには自然との共存が絶対です。単純ですが、動物だからです。

いくら高度な脳や感情、技術などを持っていようが地球上の一動物です。

 

”世界中でこれ以上絢爛(けんらん)たる開花と、笑みこぼれるような、そして優雅に満ちた春の植物を求めることはできまい。”

 

”松の木に縁取られた日本の山々ほど、ひとつひとつがこの世ならぬ個性の美しさをたたえているものは無い。曲線や突起のある、繊細でしかも大胆な表情。それらは西洋の山にはないものだ。頂きには必ず一群の松がなごやかに並び、靄(もや)が涙のしずくをたらす暗緑色の小枝や、強い日差しを受けて輝く金銅色の大枝を張り出している。”

 

”日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。安楽で静かで幸福な生活、大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな感覚と慎しやかな物質的満足感に満ちた生活を何と上手に組み立てることを知っているのだろう。”

「逝きし世の面影」 渡辺京二 平凡社 より抜粋

 

 

江戸時代から明治時代初期ごろに来日していた外国人から見た、日本の自然についての記述です。

この様にかつての日本人は上手に自然と共存していました。

山や森、野草など、自然は人間と同類であり、または仕事であり、楽しみでもあり、安らぎでもあるといったところでしょうか。

 

地球上の数ある資源は限りあるもの、ということはご承知の通りですが、木は違います。無限の資源です。

植えれば生えますから。植える地面さえあれば無限です。

 

動物と同じように木にも寿命があります。

適切な樹齢で切り、また新たに植えるというメンテナンスを行わなければ木本来の機能は十分に発揮されません。その切った木を消費することでその循環は上手く回ります。

かつての日本はそのようにして美しい自然を保ち、共存していたのです。

 

しかし現在の日本は国内の木をほとんど使っていません。

需要量で見ると、外国産材が8割。ということは日本の木材自給率が2割しか無いということになりますね。

しかも世界一の輸入量。木材需要は多いのに日本中の山々は放置されている、ということです。

 

放置していれば山の健康状態が悪くなります。山が不健康になると土砂崩れが起こったり、山の動物が街に降りてきてしまう原因になると言われています。

国内の木を使わなくなってしまったことで生態系にまで影響を及ぼしているのです。

 

かつては自然との調和によって生きてきた日本人ですが、近代化や西欧文明、思想の流入によってものすごいスピードで良くも悪くも変わりました。

しかし残念ながら、それと同時に自然をおろそかにしてきてしまった様です。

 

経済成長も頭打ちとなった今、日本はそろそろ自然と真剣に向き合うべきなのではないでしょうか。

 

では大義名分です。

『日本の木材自給率を上げたい!』
様々な問題はありますが、長くなるのでここでは書きません。
同じ考えをお持ちの方、仲間になってもらえませんか?